29年。
おはようございます。
今日は1月17日、阪神淡路大震災から29年が経ちます。
今朝は一度6時前に目が覚め、携帯の時計を見て思い出す29年前のあの日。
あれからもう29年。。。
つい最近のことのように鮮明に思い出すので、こんなにも時間が経ったとは信じ難いです。
あの震災はこれまでの人生の中でも一番辛い出来事でした。
渡米してからは高校生活最後の年に9.11が起こり、そして社会人になり、在英中には一時帰国して帰りの飛行機で3.11が起きました。
40年生きていると親族を亡くしたり、学友を亡くしたりと、「人を亡くす」ことにも遭遇し、震災を経験したあの時とはまた異なった「死に対する考え」を持つようになりました。
「毎日に感謝をして、今を生きる」とよく耳にしますが、その毎日は思ったよりも時間に追われ、あっという間に過ぎていきます。
そんな中で私が思うこと。
もっと色々なことに寛容でありたいなということ。
歳を重ねる毎に、「自分の中の拘り」というものが、自分の中では強くなりましたが、それを他者に分かってもらおうという気持ちは年々小さくなっています。
きっと、「自分の中の拘り」が自分の中で確立して、「自分がわかっていればそれでいい」という安心感ができたからだと思います。
その一方で、「自分の価値観と合わない人は嫌だ」という考えはどんどん薄れていきました。
時折、あまりにびっくりするような事が起きても、「そういう考え方の人なのね。発想はなかったけど、なんだか面白い(興味深い)」と、その出来事すらもちょっと人間味があって愛おしく感じたり。
どんな人にも、良いところもあれば、そうでないところもあると思っているので、人の嫌なところではなく、良いところにフォーカスしたいなと思います。
若い頃の目標は、他人に寛容で、自分に厳しくという意味で「外寛内明」だったのですが、今振り返るとちょっと違ったかなと。
言葉だけを見ると、本当にその通りが理想ですが、やっぱり他者に寛容であるためには、自分にももっと優しくしたいと感じるようになりました。
そうすると、もう少し自分にも余裕ができて、関わる人達にも、もっとあたたかくいられるかなと。
余談ですが、こんなことを書いても、実は私にも全く寛容になれない人が1人います。
それは私の「パートナー」。
一緒に暮らしていて、一番近い存在で、一緒に我が家の🐶達に責任を持つ人として、やっぱりなかなか妥協できない。
結婚当初からずっと言っている「玄関で靴は揃えて!」というところから始まり、それはもう口うるさい存在だと思います 笑
でも、まずは一番身近なところから、、、始めてみようと思います。
そして、やっぱり今の自分の余裕のなさは物理的な労働時間が大きいので、きちんと見直していきたいと思います。
阪神大震災の話から随分と外れてしまいましたが、今後の人生の在り方を考える時間となりました。
今日という日がより良い1日となりますように🍀
今朝の1枚:
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